検討用語
臼蓋
調査・検討の要望理由
2023年に実施した日本肩関節学会会員に対する検討希望用語募集において、「glenoid」の訳語として「臼蓋」、「関節窩」のいずれが適切か、検討の要望が複数寄せられた。この問題については、2000年頃に一度議論されたことがあり、当時は、①解剖学用語としては「関節窩」が採用されていること、②大腿骨頭を上方まで被覆している股関節と異なり、浅い肩関節のglenoidに「蓋」(フタ)という漢字を当てるのは字義の点から適切でないと思われること、などの理由で、「関節窩を用いることが望ましい」という結論に至っていた。しかし、その後も「臼蓋」という和訳を当てた論文が散見されることから、当委員会に改めて検討を求める、というものであった。
調査・検討方法
①文献調査
これまでの議論を振り返るとともに、内外の解剖学の教科書や各種文献を改めて調査・検討した。
特に注目したのは、以下の三点である。
.article-contents-area ol.alpha li::before{ content:none !important; }- 「臼蓋」の意味、整形外科用語としての位置づけ
- 「関節窩」の意味、整形外科用語としての位置づけ
- 「Glenoid (cavity)」の日本語訳としての妥当性
②アンケート
2024年9月に日本肩関節学会正会員、名誉会員、功労会員および準会員1号・同2号を対象としたアンケート調査を実施した。
結果
①文献調査
a.「臼蓋」の意味、整形外科用語としての位置づけ
「臼」という漢字は、米などをつく「うす」の意味で、「蓋」は「ふた、おおう、おおいかくす、かぶせる」などの意味がある。すなわち、「臼蓋」とは、主に骨頭を覆っている寛骨臼の外側部分を示しているのではないか、と考えられる。これに対して、くぼみの浅い肩関節については、骨頭の外側部分を覆う「蓋」に相当する部分は存在しない。
次に、肩関節においても「臼蓋」を用いるべきであるとする立場については、信原が著書「肩 第4版その機能と臨床」において、自身の見解を詳述している(文献1)。それによれば、肩甲骨の関節面は、歴史的に「髀臼蓋」と称されていたとのことで、「髀」という漢字の旁(つくり)である「卑」は「ひしゃく」を表し、上部は杯型の器、下部は柄を手に取る形を表した象形文字である、ということである。こうした漢字の形状や成り立ちを踏まえて、信原は、「髀臼蓋」は、肩甲骨における関節面の小さく平たい骨の形状を指した、「正しい用語である」と結論している。
しかし、実際の肩関節では、「杯型の器」は肩甲骨側に属するのに対して、「柄」は上腕骨側に存在することから、「卑」という旁が「肩関節の形状を表した象形文字である」と断定するのは無理がある。
また、「髀」という漢字の意味については、「もも、足のひざから上の部分、また、ももの骨、大腿骨」とされており、字義の上で「上腕骨または肩甲骨を指す」といった記載は見当たらなかった。医中誌において、「髀臼蓋」を検索用語とした文献を検索したところ、1933年から1963年までの間に合計26編の和文論文が発見された(文献2-27)。しかし、これらは全て股関節疾患に関する研究報告であり、肩関節に対して実際に「髀臼蓋」という用語を用いた論文は確認できなかった。以上から、少なくとも今回の調査において、「肩甲骨の関節面が、歴史的に髀臼蓋と称されていた」という記載を裏付ける根拠を見出すことはできなかった。
b.「関節窩」の意味、整形外科用語としての位置づけ
「関節窩」については、ラテン語名の「Cavitas glenoidalis」に対応する解剖用語として用いられてきた用語であり、現在では公益社団法人日本整形外科学会が作成・公開している整形外科学用語集 -第9版-においても、肩甲骨の関節面を表す用語としては「(肩甲骨)関節窩」が採用されている(文献28)。「窩」の字義については、「あな、いわや、むろ、くぼみを意味する」とされており、くぼみが浅い肩甲骨関節面の骨形状に比較的近い意味合いを有しているのではないか、と考えられた。
c.「Glenoid (cavity)」の日本語訳としての妥当性
Oxford English Dictionaryによれば、「glenoid」は形容詞であり、「浅いくぼみの(ある)、浅窩の(ある)」という意味を持つギリシャ語起源の用語であり、この用語自体には「肩甲骨」という意味は含まれていない。これに対して、「acetabulum」はラテン語由来で、酢を意味する「acetum」と小さな杯を意味する「abrum」から成っている用語である。元々の意味は、「small vinegar cup」であり、水に少量の酢を入れて飲むことを好んでいた古代ローマの兵士が用いた容器の名称として、acetabulumが用いられたのが起源だったということである。
こうした英単語の起源や本来の意味から、glenoidは浅いくぼみを持った肩甲骨の関節面に、acetabulumは深いカップ状の構造を表すために股関節の関節面の形状に、よく一致した名称であると考えられる。そのため、「glenoid」と「acetabulum」の二つの用語がくぼみの深さによって使い分けられたものであるとすれば、両者に一律に「臼蓋」という和訳を当てることは問題があると考えられる。
②アンケート結果
アンケートの回答者の内訳は、表1に示す通りである。「臼蓋」という用語を「日常診療で使用したことがある」と回答したのは、462名中55名(11.9%)にとどまっていた(表2)。また、国内の学会で使用することについても、使用可とする会員が64名(13.9%)、使用すべきでないと回答した会員が268名(58.0%)と、使用不可とする意見が過半数を占めた(表3)。同様に、日本語論文での使用の可否についてもほぼ同様の傾向で、使用可と回答した会員が62名(13.4%)であったのに対して、使用すべきでないと回答したのは276名(59.7%)であり、反対意見が多数を占めていた(表4)。
考察
字義の面からは、「臼蓋」という用語は、股関節のような比較的深い関節に用いられるのが適当であり、くぼみの浅い肩甲骨関節面を表すには「関節窩」の方が適していると考えられる。また、英語名称との対比という観点からも、「glenoid」の意味により近いのは、「関節窩」であると考える。さらに、日本肩関節学会会員アンケートにおいても、「関節窩」を用いる会員が圧倒的に多かった。以上を踏まえて、「glenoid」に対する日本語名称としては、「関節窩」の方が妥当であると結論する。
結論
日本肩関節学会用語委員会としては、「glenoid」の日本語名称として、「(肩甲骨)関節窩」を用いることを推奨する。
文献
- 信原克哉.第3章 肩のつくり.肩 第4版その機能と臨床.医学書院,ISBN: 978-4-260-01676-6, p15-32, 2012
- 植家毅 , 佐藤雅一 , 小嶋俊二 , 柴田義守 , 江崎勤弥 , 奥田弘典 , 渡辺弘則.教室に於ける先天股脱並に髀臼蓋形成不全に対するRiemenbuegelの使用経験.日本整形外科学会雑誌37巻7号 Page549-550, 1963.
- 植家毅, 小嶋俊二 , 世古口公宏 , 翠明 , 田熊清彦 , 渡辺弘則 , 中川武久 , 杉本吉弥 , 中島聡.Riemenbuegel (Pavlik)に由る乳児先天股脱並に髀臼蓋形成不全の治療経験と其考察.中部日本整形外科災害外科学会雑誌7巻1号 Page153-155, 1964.
- 植家毅, 佐藤雅一 , 小嶋俊二 , 柴田義守 , 江崎勤彌. 教室に於ける先天股脱竝に髀臼蓋形成不全に對するRiemenbuegel (Pavlik)の治療經驗. 名古屋市立大学医学会雑誌14巻1号 Page91, 1963.
- 富永通裕, 大橋規男. 髀臼蓋結核の4例. 大阪医科大学雑誌18巻4号 Page465, 1958.
- 富永通裕, 大橋規男. 髀臼蓋結核の4例. 中部日本整形外科災害外科学会雑誌1巻3号 Page220, 1958.
- 野島元雄, 山崎敏. 脱臼障碍に對する髀臼蓋成形術.醫療10巻12号 Page999, 1956.
- 野島元男, 山崎敏. 亞脱臼障碍に對する髀臼蓋形成術. 日本外科學會雜誌57回8号 Page1472, 1956.
- 山本忠治, 堤正二 , 玉重亨 , 中脇正美 , 山田榮. 先天性股關節脱臼整復後に於ける髀臼蓋骨新生に關するレ線學的觀察. 山口臨牀醫學2巻2号 Page105, 1954.
- 野島元雄, 佐野耕三. 陳舊性大腿骨頸部骨折に對して髀臼蓋形成術と關節改造術を應用せし1例. 整形外科 8巻1号 Page53, 1957.
- 高岸直人. 先天性股關節脱臼の髀臼蓋成形術の治療成績. 福岡醫學雜誌46巻3号 Page261, 1955.
- 高岸直人, 三輪信二 , 岩切清文 , 野村哲郎. 先天股脱に對する髀臼蓋成形術の治療成績. 日本整形外科學會雜誌29巻3号 Page326, 1955.
- 増原健二, 村岡斌 , 井上忠雄 , 石川泰彦. 髀臼蓋成形術の蓮隔成績.日本外科學會雜誌53回11号 Page936, 1953.
- 原田基男. 軟骨移植による髀臼蓋形成術. 近畿外科學會半年報1号 Page29, 1951.
- 菊池英, 佐分妙. 髀臼蓋骨折を伴へる外傷性兩側股關節脱臼の1例.日本整形外科學會雜誌28巻6号 Page746, 1955.
- 塩津徳政, 山本忠治, 玉重亨. 先天性股關節脱臼整復後の骨性髀臼蓋新生に關するレ線學的觀察.日本整形外科學會雜誌28巻6号 Page741, 1955.
- 高木常光. 先天股脱整復後の骨性髀臼蓋新生に關するレ線學的豫後判定の基礎. 整形外科2巻4号 Page235, 1951.
- 藤本憲司. 髀臼蓋形成術の經驗. 外科12巻6号 Page365, 1950.
- 高木常光. 先天股脱整復後に於ける髀臼蓋骨新生のレ線學的考察と辷り溝に對する經皮的骨穿孔法の治療價値. 日本整形外科學會雜誌25巻Page140, 1951.
- 大矢莞爾.股關節髀臼蓋に於ける線維性骨炎の2例と其類症鑑別及び療法.外科13巻2号 Page105, 1951.
- 高木常光.先天性股關節脱臼髀臼蓋端部に對する骨穿刺が骨新生に與える影響.日本整形外科學會雜誌24巻6号 Page361, 1951.
- 天兒民和, 大谷武雄.先天性股關節脱臼に對する髀臼蓋成形術の經驗.日本整形外科學會雜誌21巻1号 Page13, 1947.
- 天兒民和.先天性股關節脱臼の軟骨性髀臼竝に髀臼蓋成形術.新潟醫學會雜誌60年6号 Page317, 1946.
- 成田有年.股關節先天脱臼に對する髀臼蓋成形術.福岡醫學雜誌35巻12号 Page1246, 1942.
- 長田武夫.股關節脱臼に對する髀臼蓋成形術の二例.日本外科學會雜誌40巻7号 Page1491, 1939.
- 内田辰雄.部分的髀臼蓋成形術に關する實驗的研究.日本整形外科學會雜誌一〇三 Page251,1935.
- 神中正一.先天性股關節脱臼假性髀臼に對する髀臼蓋成形手術法の考案.日本外科學會雜誌三四回六 Page1681, 1933.
- 整形外科学用語集 -第9版-.https://terminology.joa.or.jp/
会員アンケートの結果
| 回答者の会員種別 | 回答数 |
|---|---|
| 正会員・名誉会員・功労会員 | 416 |
| 準会員1号・準会員2号 | 42 |
| 記載なし | 4 |
| 合計 | 462 |
| はい | 55 |
| いいえ | 406 |
| その他 | 1 |
| 合計 | 462 |
| 使用してよい | 64 |
| 使用すべきではない | 268 |
| どちらともいえない | 129 |
| その他 | 1 |
| 合計 | 462 |
| 使用してよい | 62 |
| 使用すべきではない | 276 |
| どちらともいえない | 123 |
| その他 | 1 |
| 合計 | 462 |